キノコ

 



土偶といって一般に思い浮かべるのは、
教科書にも載っていた遮光器土偶が多いのではないだろうか。

もちろん遮光器土偶は代表的な土偶ではあるけれど、
これは後期・晩期の土偶なのだ。

したがって、技術の進歩も様式の洗練も
その極致において作られたものとなる。

誰もが思い浮かべるあの人型が、縄文時代のすべての時期で
つねに製造されていたなどとということはない。

 初期の土偶は、数センチメートルといった小さいもので、
立体的な造形力がきわめて貧しく、板状のものだった。
素朴というよりは単純といえるほどの表現しかされておらず、
完全な形であっても土器の欠片にしか見えないほどだ。
頭部の表現は確認できるものの、顔面の造作、表情は
きわめてとぼしく、まったくないのっぺらぼう状態のものが多い。

中期の土偶になると、まず大きさが拡大され種類も豊富になる。
種類が豊富になったということは、初期の頃より技術が進歩し、
造作に明確な違いとなってあらわれだしたということ。
それがそれぞれの様式の洗練へと繋がっていくこととなる。

またこの頃になると顔面・表情が表現される土偶の数が増え始め、
土偶のおおきな特徴である女性性の強調、つまり腰周りや乳房
という部位を誇張した表現が目立ってくる。

後期になると、土偶の製作は最盛期を迎える。
特に東日本においてその傾向は顕著で、数多くの土偶が高められた技術と、
発展し洗練された様式をもって製作される。
遮光器、ハート形、ミミズク、仮面などといった特色ある、忘れがたい
形状をした数々の土偶も、この後期晩期に製作されたものがほととんどである。