次は埴輪の歴史。
古墳の登場とともに姿をあらわし、
その衰退とともに姿を消していった彼らだが、
その間にはいくつかの変遷があった。
まずは埴輪が歴史に姿を見せるその前に目をやって、
埴輪のルーツについて述べてみよう。
弥生時代末期、吉備地方の墳墓には、
「特殊器台」「特殊壺」とよばれる土器が置かれていた。
これらの土器は弧帯文という複雑で特殊な文様によって
飾られており、置かれる場所も限られ数量も少なかった。
それが3世紀も中頃になると畿内に
つくられはじめた前方後円墳に置かれる。
そののち「特殊器台」「特殊壺」土器は、
簡素化され複雑な文様を失っていくにつれ、
円筒埴輪とよばれる形へと変遷していく。
形象埴輪が見られるようになるのは4世紀の前半から。
家屋、蓋形、鶏、武具といったものが発見されている。
5世紀中ごろになると人物の埴輪もあらわれ、
犬や馬といった動物埴輪も多くつくられるようになった。
畿内での埴輪の衰退は前方後円墳の衰退と時を同じくし、
後代の葬送儀礼において用いられることはなかった。
ただし、その後も前方後円墳が多数造られつづけた
関東地方においては埴輪も多く出土している。